大場農園の歴史と、
大切にしていること
HISTORY AND WHAT WE VALUE
大場農園のルーツは、遥か昔に遡ります。
いつからだったのか記録は残っていませんが、
先祖代々、米麦を主体とした農業を
行なってきたといいます。
そして園主の曽祖父の代に、
戦後の減反政策によって
露地栽培のみかん農家に転身。
それを継いだ祖父が事業拡大に尽力し、
祖父と父の手によって
ハウス栽培が始まりました。
ハウスみかん農家に
生まれて。
BORN TO A MANDARIN
ORCHID FARMER.
園主が生まれた時には既にみかんハウスがあり、それが当たり前の環境で育ちました。
もともと農作業が嫌いではなく、サラリーマンより自営業が向いていると感じていた園主にとって「実家が農家」であることは正直、好都合。
好きな働き方で好きなことをできる環境が、何もしなくても用意されているのですから。
そうして20歳から大場農園で働き始め、父に教わるまま目の前の作業をこなす日々。
そんな園主の農業への向き合い方が大きく変わる転機となった、ある出来事がこの後起こります。
みかんの木は、
いちばんの〝仕事仲間〟。
みかんの木は、
いちばんの "仕事仲間" 。
TANGERINE TREES ARE
MY BEST BUSINESS ASSOCIATES.
大場農園で働き始めて数年経ったある日、園主は大きな交通事故に遭いました。
幸い命に別状はありませんでしたが、結果として1年近く仕事ができなくなってしまったのです。
入院中に時間を持て余し、そこで出会った人からいろいろな仕事や生き方の話を聞きました。
そのとき、自分の視野がどんどん広がっていくのを感じた園主。
それまでただこなしていた作業にどういった意味があるのか、自分の仕事が世の中に何をもたらしているのか、どのように社会とつながっているのか、初めて真剣に考えるようになりました。
退院してもしばらく作業はできませんでしたが、毎日とにかく農地に行き、木を観察しました。
すると以前は全く気付かなかった木の表情の変化が、少しずつ、でも確実にわかるようになっていったのです。
このとき園主が学んだのは、みかんの木とは私たちにとって大事な“仕事仲間”だということ。
放っておいてはいけないし、近づきすぎてもいけない。適度な距離感で、常に関心を寄せ、丁寧な対話を心がけていると、必ず応えてくれるのです。
復帰後、園主はすべての仕事をいちから勉強し直すつもりで取り組みました。
時代の変化に適応しながら農地を守り抜いてきた先人、厳しい状況でも味にこだわり続けてきた祖父や父。
そのおかげで今、将来を見据えて新しい挑戦ができることへの感謝の気持ちを胸に、今日も動かぬ物言わぬ仲間に向き合います。
農地を守り、
次世代に
笑顔をつなぎたい。
WE WANT TO PROTECT OUR
FARMLAND AND PASS SMILES
TO THE NEXT GENERATION.
代々受け継いできた大場農園の敷地は現在500アール近くまでに広がり、今後も拡大する見込みです。
その理由は「みかん産地を守りたい」この一点だけ。
農業従事者が全国的に減少の一途をたどり、浜玉でも高齢化や後継者不在の課題が色濃くなっている今。
使う人がいなくなった農地を放っておくとやがて荒れ、復活させるには10年かかります。
荒れた農地は隣接する農地にも悪影響を及ぼしますし、生産量が減って選果場の維持が困難になれば地域全体が農業を営みづらい状況になりかねません。
それで私たちは、使われなくなった農地を積極的に引き受けてみかん栽培を維持しているのです。
ハウスみかん栽培は、技術面でも資金面でも新規参入のハードルが高いのが現実です。
でも、何とかして若い世代に「やってみたい」と思ってほしい。
そのために始めやすいビジネスモデルを構築するなど工夫を重ねていくつもりです。
でもやっぱりいちばんは、私たちが楽しんでいる姿を見てもらうこと。
とにかくおいしいみかんをつくって、皆さんに喜んでいただき、そうして生まれる笑顔の連鎖を次世代につなげていきたいと思っています。
幸せの環が
広がっていくように。
MAY THE CIRCLE OF
HAPPINESS SPREAD.
お客さまからこんな言葉が届きました。
「このみかんのおかげで、嫌なことがさっぱりするくらい幸せな気分になりました。ありがとうございます。本当においしいです」。
一度食べたらまた食べたくなる、そのおいしさを大切な人と分かち合いたくなる、そんなみかんを私たちはつくり続けていきたい。
私たちが嬉しいのは、みかんを手にしたお客さまが喜んでくれること、そしてその喜びがお客さまの周りにも伝播していくことなのです。
昔ながらの「こたつでみかん」という文化は薄れつつあるのかもしれませんが、あたたかな団らんの側に大場農園のみかんがあり「おいしいね」と笑い合うことで
人と人の心がつながって、みかんのようにまあるい幸せの環が広がっていくのなら、それほど嬉しいことはありません。
園主からのメッセージ
MESSAGE
はじめまして。大場農園(株)代表の大場博紀です。
1986年生まれ、興津柑橘試験場での研修生を経て、20歳で就農。
唐津市浜玉町で生まれ育ち、消防団・PTA・地域役員・JA役員など毎年様々な役割を担いながら、地域と家族と仲間と共に農業を行ってきました。
私たち大場農園が生産したみかんは、長い間JAからつを通じて出荷し、おかげさまで全国のたくさんの方にお届けできていることを、大変嬉しく思っています。
ネットを通じて生産者と消費者のダイレクトコミュニケーションが容易になり、生産物の背景やストーリーまでおいしさの一部として楽しむ文化が定着してきた、今。
ここ佐賀県唐津市・浜玉町で先人たちが築き上げてきた『ハウスみかん』
祖父・父と受け継いできた、こだわり抜いて作っている『大場農園のハウスみかん』
そこに込められたストーリーごと、一人ひとりのお客様にお届けしたい。もっとお客様の声も聞きたい。
そこで、多くの方の力をお借りして、2023年・オリジナルブランド「海と空と、みかん」の立ち上げに至りました。
生産者としては100年以上の歴史を持つ大場農園。
栽培技術・商品の品質には自信を持ってお届けしますので、どうぞ暖かくお付き合いいただけると嬉しいです。
大場農園株式会社
代表取締役大場 博紀
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「海と空と、みかん」が
うまれるまで -
おいしさの秘訣
「ハウスみかん(温室みかん)」 - 大場農園のつくるみかん
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